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伝統野菜の紹介

伝統野菜の紹介 (百姓隊直営農場から)

(Seed to Seed )

 

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  〔糸巻き大根の生産〕           〔伝統野菜の展示・ディナー〕    〔伝統野菜の種まき会〕

 

伝統野菜という個性的な野菜は、けっして特別な野菜ではありません。

皆さんのおじいさんやおばあさんが子供のころ毎日食べていた野菜です。

これらの野菜たちは、日本全国のそれぞれの地方の食文化を築き気候や風土に適応するかたちで選抜、固定を繰り返し脈々と伝え守られてきた固定種・在来種の地方野菜たちです。

その良き伝統が昭和の高度成長期以降衰退し、消滅の危機にさらされています。

私たちは、地元宮崎県の伝統野菜だけに留まらず日本全国の伝統野菜に目を向け伝統野菜の持つ個性的な風味・形を次世代に伝えるべく生産・直売・啓蒙活動をしながら、日本の伝統野菜の持つ植物遺伝資源としての

貴重な資源を、この南国宮崎県の地で自家採種を続けながら、「種から種へ」と受け継ぐ農業を行っております。

これから是非、伝統野菜を家庭菜園で育て緻密できめ細かな肉質と、濃密な味を堪能し、自分の畑で気に入った野菜のタネを、自家採種し自分の子や孫また、未来の子孫に残していってください。

 (谷口寛俊)

 

【百姓隊の直営農場で生産されている伝統野菜を主に紹介します】

 

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「宮崎伝統野菜 糸巻き大根」
生産者:百姓隊、生産地:宮崎県宮崎市、原産地 西米良村 (販売時期 12月~3月)

九州山脈の麓かりこぼーずの伝説が息づく宮崎県西米良村で古くから栽培されていた「糸巻き大根」は、その名の通り大根に赤紫の糸がぐるりと巻きついたような色合いが特徴です。大量生産・大量消費の波に押されて一時生産が減っていましたが最近では、伝統野菜の素晴らしさが消費者に受け入れられ始め生産も拡大してきました。味は、普通の大根に比べ糖度が2度程高く、生で口に運ぶと一瞬にして広がる甘味が印象的です。昔から酢の物や煮物に千切り大根として食べられていましたが最近では新しい食べ方として、大根を薄くスライスして大根しゃぶしゃぶ。大根独特の辛味が無く、シャキシャキとした食感が、ますます食欲をそそります。宮崎県の「糸巻き大根」は、昔から大切に育てられた大切な植物遺伝資源です。  (谷口寛俊)

 

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 「宮崎伝統野菜 佐土原なす」
生産者:百姓隊、生産地:宮崎県宮崎市、原産地 佐土原町 (販売時期 露地 6月~9月・ハウス1月~12月)

 佐土原(さどわら)ナスは、江戸時代に佐土原藩(現在の宮崎市佐土原町・西都市・新富町)で盛んに栽培されていたためこの名前がつけられたと言われています。このナスは、熊本県の赤ナスや新潟県の伝統野菜ナスのルーツと言われており貴重な伝統野菜です。また、果肉が柔らかく種が小さく食べやすいのでとろける食感と共に焼きナスにすると日本一おいしいと激賞されています。
佐土原ナスは長ナスで、果色が薄い紫色です。夏期には、さらに薄い紫色になる上に形の揃いが悪いため、外見重視の消費者ニーズに合わず、昭和55年ごろに一度市場等から姿を消した経緯があります。
地元の梶田種苗店から委託され佐土原ナスの種子を長期保管していた宮崎県総合農業試験場の富永副場長が、宮崎市の農家外山晴英さんに試験栽培の話を持ちかけ外山、谷口氏など数名によって佐土原ナス研究会が発足し現在の復活劇が成し遂げられました。

     (谷口寛俊)

 

 

 

「宮崎伝統野菜 宮崎白なす」
生産者:百姓隊、生産地:宮崎県宮崎市、原産地 高原町 (販売時期 7月~10月)

 

 宮崎白ナスは、江戸時代ごろから盛んに薩摩藩の領地でもある(現在の宮崎県高原町・野尻町・都城市)などで盛んに栽培されていたナスです。鹿児島県の薩摩白ナスが宮崎県伝来し南九州地方で広まったと考えられております。種類としては、卵型と長ナス型があり色としては白というよりは薄緑色をした物が多いです。皮の色が白いナスで、アントシアニン色素や葉緑素がないため完熟しても果皮が紫色になりません。皮は少しかためで炒め物や揚げ物や田楽に向いています。なお、全国各地に昔からの在来種があり淡緑色のものを白なすと呼んでいる地域もあります。   (谷口寛俊)

 

 

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「宮崎伝統野菜 つる首かぼちゃ」
生産者:百姓隊、生産地:宮崎県宮崎市、原産地 宮崎県内 (販売時期 9月~12月)

 つる首かぼちゃは細長く、首の部分が鶴の首に似ていることからそう呼ばれるようになったようです。古くから日本で栽培されてきた品種で、宮崎県や愛知県では伝統野菜として扱われています。最近ではえびす南瓜などの西洋カボチャが好まれるようになり、その生産量は非常に少なくなってしまったのですが、伝統野菜を見直す動きなども有り、道の駅や直売所などではよく見かけるようになりました。つる首かぼちゃは上の部分には種がなく食べられる部分が多いというメリットがあります。ただ、下の膨らんだ種の周りの果肉に比べると上の部分は少し水っぽく感じます。味はとても濃厚で、繊維質が少なく、ポタージュにするととても滑らかに仕上がります。また、カボチャプリンなでご利用いただくと子供からお年寄りまで喜んでご利用いただけます。      (谷口寛俊)

 

 

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 「宮崎伝統野菜 日向黒皮南瓜」
生産者:JA宮崎中央部会、生産地:宮崎県宮崎市、原産地 宮崎市 (販売時期 12月~6月) 

 日向黒皮南瓜は、明治40年、大縮緬(ちりめん)種が栽培されたのが始まりでその後品種改良を重ね、大正10年には半促成栽培が普及、翌年には5月にしか出荷できなかったものが、4月上旬に出荷できるようになり、商品価値が高まりました。大正13年、千葉県佐倉から黒皮種を導入し、品質、収量ともに向上、全国一の「黒皮かぼちゃ」産地となった。宮崎の「黒皮かぼちゃ」は、「日向かぼちゃ」とも呼ばれ、品種としては宮崎早生1号、2号がある。ハウス促成栽培が宮崎早生1号、ハウス後作が宮崎早生2号で、宮崎市生目地区を中心に栽培し、12月から6月まで出荷される。「黒皮かぼちゃ」は腰高で肩張りが強く、やや大きめで凸凹が多く、濃黒緑色で見た目にも美しく、果肉も厚く、西洋かぼちゃに比べて独特の風味がある。高級料理用として用いられる。 肉質は粘質で、ネットリとして煮くずれしにくい。中の黄色、外皮の緑色が冴えてコントラストが美しい。ほどよい甘さであることが特徴。宮崎県を代表する野菜のひとつとなっています。    (谷口寛俊)

 

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「宮崎伝統野菜 たけのこ芋」
生産者:百姓隊グループ、生産地:宮崎県高原町、原産地 小林市 (販売時期 10月~2月)

 たけのこ芋は地上に頭を出している姿が筍に似ている事から「たけのこ芋」と名づけられていますが、「京芋」という名称でも流通しています。京都で作られている海老芋も京芋と呼ばれているので混同しやすいですが、別物になります。小芋がほとんどできず、親芋が竹の子のように地上に頭を出します。肉質がしっかりとしており煮崩れしにくく、煮付け、おでん、味噌煮など煮物に使いやすい品種です。大きいものだと60cmほどの長さにもなる品種で、親芋自体を食べるタイプです。 宮崎県では、明治時代に導入された「台湾いも」と呼ばれていたものを原種とし、戦前から小林市を中心に栽培されてきたようです。
 「京芋」という名前の由来は、昭和30年頃に「この特徴ある品種を何とか県外の消費者にも届けよう」と、当時の農協、市役所、青果会社が一体となり、関西に売り込みに行った際に、京都に立ち寄り食べた精進料理の中に食味の優れたさといもが使用されており、「この京都のおいしい料理にあやかりたい」との思いから「京芋」という名称を使うようになったそうです。

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「伝統野菜 地這い胡瓜」
生産者:百姓隊、生産地:宮崎県宮崎市、原産地 埼玉・大分県 (販売時期 7月~9月)

 現在主流の胡瓜は、節成り胡瓜と呼ばれ(支柱栽培するところから、俗に立ち胡瓜と言っています)、場所を取らず、 狭いビニールハウス内に 何百本も植えることができ、早くから収穫できるので、営利栽培で使われる胡瓜は、ほとんどこの節成り胡瓜の一代 交配種です。(連作に耐え、色や形、日保ちをよくするための品種改良が進み、また特殊なカボチャの台木に接いで いるので、どんどん皮が硬く、不味くなっています昔ながらの伝統固定種の胡瓜は、親蔓一本仕立てでは雌花のつきが悪く、ムダ花が多くなるので、 適当なところ(本葉5、6枚から7、8枚)で親蔓の芯を止め(これを摘心と言います)、それまでに 出た葉の 付け根から伸びる子蔓を3、4本伸ばして広げ、子蔓や孫蔓のあちこちについた雌花の果実を収穫することで、 最終的な収量を多くします。大きいものは、1本で1キロ以上もあり果肉もとろっとし香り旨味はバッグンです。 
親蔓を途中で切って子蔓・孫蔓を伸ばし、そこから出た葉が、よく太陽光線に当たるように広げてやらなくては いけないことから場所を取り、成りはじめるのも遅いのですが、 やがて地面を覆って広がった葉が、自然の太陽光線を いっぱい受け、夏の暑さにも成り疲れせず、昔どおりの柔らかくて味のよい胡瓜がたくさんとれます。 昔の胡瓜って皮が柔らかいから、もいで一日も置いておくとしなびたものです。自家用の畑を持ち、毎日こまめに収穫する人だけが味わえる味。これこそ究極のぜいたくな味では ないでしょうか。これが伝統的地這い栽培の胡瓜、地這い胡瓜です。

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「加賀伝統野菜 打木源助大根」
生産者:百姓隊、生産地:宮崎県宮崎市、原産地 石川県 (販売時期 12月~2月)

 打木源助大根は、金沢市打木町の篤農家・故松本佐一郎氏によって育成されたものである。
松本氏は、昭和7年に愛知県の井上源助氏が宮重系統の中から早生種で生育の旺盛な切太系の固定したものを導入し、在来の練馬系打木ダイコンとの自然交雑によってできたものを毎年選抜して、昭和17年に今日の源助だいこんに育て上げた。 加賀野菜「打木源助大根」は、早生種で肉質がやわらかく、大根らしい歯ざわりで煮くずれしにくく、煮物用だいこんの代表品種で、おでんには最高である

 

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 「加賀伝統野菜 打木赤皮甘栗南瓜」
生産者:百姓隊、生産地:宮崎県宮崎市、原産地 石川県 (販売時期 7月~9月)

 打木赤皮甘栗かぼちゃは、昭和8年、金沢市打木町の篤農家・故松本佐一郎氏が、福島県から赤皮栗(大正5年頃、福島県会津で成立した品種で会津栗、甘栗とも呼ばれる。→西洋かぼちゃの走り)を導入し、着果性、色のよいもを選抜し育成した。昭和18年頃にほぼ完成し、戦後発表された品種である。
戦後、金沢市安原地区で打木赤皮甘栗かぼちゃの栽培が広まり、昭和27~28年頃から京阪市場で圧倒的な人気を博した。当時のかぼちゃとしては、果色が鮮やかで美しく、果肉が厚く、甘いことから、金沢市の砂丘地はもちろん、関西・関東方面にも栽培が広まり、金沢の料理の彩りとして親しまれた。


その後、エビスカボチャの生産や消費者趣向の変化から需要が減り、わずか栽培されている程度となったが、現在、市場からもひきあいが多くなり、徐々に栽培面積が増えてきました。

 

「神奈川県伝統野菜  相模半白キュウリ」
生産者:百姓隊、生産地:宮崎県宮崎市、原産地 神奈川県 (販売時期 6月~8月)

半白胡瓜は江戸以前に渡来した華南系の胡瓜が元とされる黒イボ胡瓜の品種で、首の近く上部が緑色でそこから先に向けてグラデーションのように白くなる事から半白胡瓜と呼ばれています。

 1929(昭和4)年に神奈川県農業試験場の竹内技師が地元で作られていた馬込半白きゅうりの系統を改良した品種です。1960年代頃までは馬込半白に代わってこの相模半白が主流となっていました。

 相模半白キュウリは胡瓜本来の風味が強く、みずみずしくパリッとした食感があり、浅漬けやサラダにすると美味しいです。また、古くからぬか漬けにつかわれてきました。

 

「加賀伝統野菜  金時草」
生産者:百姓隊、生産地:宮崎県宮崎市、原産地 石川県 (販売時期 7月~11月)

 

 金時草は、和名はスイゼンジナ(水前寺菜)といい、キク科ギヌラ属の多年草で、熱帯アジアが原産である。
日本へは18世紀に中国から渡来したものであるが、九州の熊本市で古くから栽培されていたのでこの名(水前寺菜)がついたとされている。このスイゼンジナが江戸時代に、北国である石川県で栽培されていた記録(農業開志 著者農学者 村松標左衛門 1775年頃)がある。しかし、商品としての栽培が広がり始めたのは昭和初年頃のことで、以来70年間、全国的に多く栽培されているのは、金沢だけである。

 金時草(キンジソウ)の名の由来であるが、これは葉の裏面の色が「金時芋(キントキイモ)」に似た美しい赤紫色であることから「金時草」と表記されるようになり、これをキンジソウと呼ぶようになったようである。また、葉の表は緑、裏は紫色で、柔軟・粘液質である。葉と若い茎を食用にし、夏場の野菜として独特の風味があり、ゆでるとぬめり(粘り)がでる。

 

 

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